漫画脳をバージョンアップする一冊!『漫画をめくる冒険 上巻』

ピアノ・ファイア・パブリッシング編『漫画をめくる冒険 上巻』
文学フリマでの収穫物。つまり同人誌で、一般書店では扱われていない。イベントのほかでは、メロンブックスに委託されている模様。
購入の決め手になったのは、オビにつけられた元長柾木らの推薦文。といっても、そんなものがなかったとしてもこれを見逃すことは出来なかっただろう。パラパラとめくるだけでも、大変な労力をかけた内容であることが伝わってくる。
漫画、あるいは漫画の読み方を題材とした評論で、この上巻では主に「視点」についてあつかっている。まず「序」では、漫画を読む読者の視線を分析。一般的なコミックスの持ち方から、右ページと左ページの差を明らかにし、さらにキャラクターや物体の向きによって絵の示す意味が大きく変わってくることを示す。
こう言うと難しそうだけど、論点が明瞭でものすごく分かりやすく、また面白い。漫画についての常識を打ち崩され、よく出来た叙述トリックのようなスリリングさを感じた。図版や画像が効果的に使われていたことも理解の助けとなった。
1章では、漫画の作画において、キャラクターの視点が大きな役割を果たしていることを解説。大人の見る世界と子供の見るそれは別物だ。それと同様に、視点となるキャラクターの年齢や状態によって、漫画の絵にも影響が出てくる。2章では、『School Rumble』などを題材にコマ単位での解説を進め、なにげなく読んでしまっている漫画がおびただしい情報を秘めていることを提示。あくまで漫画に、コマの中に描かれた内容をもとに具体的に説明され、「なんとなくこう思う!」とか「この表象は概念としての象徴である」とかいった抽象論には陥らない。
この本で語られる「視点」「プライヴェート視点」という読み方は、『School Rumble』に限らず多くの漫画に適用できる射程が長く、強力なツールだ。こうして指摘されると、幾人もの漫画家が「キャラクターの視点による絵のデフォルメ」という技法をそれぞれのやり方で用い、独特の効果を上げてきたことに気付かされた。
古典的な少女漫画で、好きな人は極度に美化されたかたちで描かれ、バックに花や光が踊る意味(池田理代子の『おにいさまへ…』[1974年]などにその例が見られる)。また、高橋源一郎らの評論家、漫画読みが好んで取り上げてきた、高野文子「田辺のつる」[1980年](『絶対安全剃刀』に収録)などについても新しい解釈が可能かもしれない。さらに最近では、清水玲子が『秘密 ―トップ・シークレット―』において、まさに各人の脳による視覚の差異をテーマにしている。これも、「視点」を利用した漫画表現の成果だとも考えることができるだろう。
なので古い作品を切り捨て、『School Rumble』に焦点をあてた構成については、ややもったいなくも感じた。この筆者の明晰な筆で、もっと様々な作品、作者を扱った評論を読んでみたいと思ってしまったから。「下巻」の刊行が待ち遠しい。
とにかく、漫画読みとしての脳をバージョンアップしてくれる衝撃的な一冊だった。