「かわいい」と「かなしい」 『グーグーだって猫である』

グーグーだって猫である(4)

グーグーだって猫である(4)

3巻の発売から約1年、『グーグーだって猫である』の4巻が出た。1年というと長いようだけど、むしろ早すぎてびっくりしてるぐらい。なにしろ、2巻と3巻の間は4年以上あいているのだから。
グーグーだって猫である』は、大島弓子と猫との生活をつづったエッセイマンガ。作者の大島弓子については……うん、ググれば分かると思います。個人的には『ダリアの帯』とか『つるばらつるばら』とか『ジィジィ』とか『ロスト ハウス』とかが好きです。

一人暮らしで猫を飼い始めたら終わり?

よく「一人暮らしで猫を飼い始めたら終わり」なんて言うけれど、このマンガを読んでいると「猫と一緒に暮らせるなら、終わりでもいいかな? いやむしろ猫を飼ってない僕らのほうがおかしいんではないだろうか?」などと考えてしまう。といっても、これは「かわいい猫との甘くて幸せな毎日」を描いた作品ではない。たしかに、大島弓子の描く猫たちはかわいい。でも、この本はけして「かわいい」だけじゃ済まされない部分、猫を飼うことのリアルへと踏み込んでいる。
「かわいい」と「かなしい」は表裏一体。これはそんな本。

グーグーとビー

せっかくだから、1巻からここまでの流れを軽く見てみよう。
物語は、10年以上も連れ添った「サバ」との死別から始まる。傷心のなかペットショップのウィンドウを眺めていると、ケージの片隅に元気のない子猫がうずくまっていた。ペットショップで猫を買うつもりはなく、ただ見ていたかっただけ。しかし、母ねこから引き離すには早すぎる子猫の小ささに、つい「これ下さい」と言ってしまう。それが大島家第二の猫、グーグーだった。
そして、新しい猫との生活にも慣れた頃、第三の猫がやってくる。夜中にか細い鳴き声を聞いた大島弓子は、夜の公園を探し回って怪我をした子猫を見つける。この猫は、「ビー」と名づけられ大島家の一員となる。
それからしばらくして、大島弓子は子宮ガンの宣告を受ける。猫のことを思いながら、入退院を繰り返す大島弓子。手術が失敗したときのことを考え、猫たちのために遺書を書く。病院で散歩中に実験動物の慰霊碑を見つけてしまう。などなど。闘病中のエピソードからは、死が色濃く感じられる。人の死と、猫の死。

増え続ける猫たち

手術に成功し、体調が回復した後は、さらに猫の増えるスピードが速くなる。子猫の声がしたらケージを担いで夜の公園へ。また、あるときは浮浪者から皮膚病もちの子猫を譲り受け、さらに近所の野良猫の面倒を見て……。4巻のあとがきによると、現在は13匹の猫に囲まれているという。ちょっとすごい数だ。
大島弓子の行動に共感できる人は少ないだろう。僕もちょっとわからない。人間不信なんじゃない? とか逆に猫に依存してるんじゃない? なんてふうに批難する人もいるかもしれない。でも、『グーグーだって猫である』は傑作以上の何かだと思う。猫たちとの楽しい生活を淡々と描いているだけのはずなのに、すべてがどこかものがなしい。そして、愛情を込めて描かれる猫たちは、とてもかわいい。