極上のSF短編集『ベガーズ・イン・スペイン』

ナンシー・クレス『ベガーズ・イン・スペイン』ハヤカワ文庫

ベガーズ・イン・スペイン (ハヤカワ文庫SF)

ベガーズ・イン・スペイン (ハヤカワ文庫SF)

これはちょっと思い入れがある作品。というのも「SFを原書で読むとカッコイイ! モテル!」とか勘違いしていた時期があって、その頃に読んだアンソロジー・ペーパーバックに、本書収録の短編「眠る犬」が入っていたから。なんだか分からんなりに感動したりして、調べてみるとこの短編が、「無眠人」シリーズというものの一部だということが分かって、ずっと邦訳を楽しみにしていたわけです。
しばらく後に、そのペーパーバックは『遥かなる地平』というタイトルで邦訳されてるので、「眠る犬」を読むのは3回目なのか。まあ、それはどうでもいいですが、この『遥かなる地平』というアンソロジーも意味わからんぐらい豪華なメンツがそろっててすさまじく良質なので、ぜひ。これに入ってるシルヴァーバーグの「永遠なるローマ」シリーズも翻訳されねえかな。
……というわけで、これはナンシー・クレス「無眠人」シリーズの一部を含んだ中短編集です。正直なことを言うと、複数訳者による短編集という形になったのはちょっと残念。本当に期待してたのは同名の長編『ベガーズ・イン・スペイン』を一巻とする三部作の訳出だから。
でも、読み始めてみるともう、ぶっ飛んだね、ボブ! 解説に「短編の名手」とあるとおり、どの作品も信じられないぐらい上手くて速くて力強い。上質な短編小説というのはこういうものだ! という具合にやわらかい語り口で奇妙な話を展開して、最後でググっと落とす。このラスト1ページが悪魔的な完成度で、最後の段落を読むだけでも名作だと伝わるんじゃないかというぐらい。
似た作風の持ち主としては、テッド・チャンだろうか? でも、クレスのほうがずっと叙情的で泣かせせる。そのぶん、チャンのほうがアイデアが豊かでSF的な奇抜さがあるけど。
ナノテクであったり、宇宙戦争であったりに翻弄される人々の姿を情感たっぷりに描き、なんとも言えずホロ苦い結末に持っていく。複雑怪奇なおとぎ話、といった感じかも。「泣けるんだけど、泣いて終わりにできるほど単純話じゃないよな」という感じがするところが。うん、意味わかんない感想でゴメンナサイ。僕が悪かったです。
つまり、いや、つまりじゃないな。やはり一番印象深かったのは、表題の中篇「ベガーズ・イン・スペイン」(ヒューゴー、ネビュラ、その他いっぱい受賞)で、これが読めただけでも十分モトはとれた。遺伝子操作によって生まれた超人たちが、その優越性によって迫害されていくというヴォークトの『スラン』以来わりとありがちなストーリーなんだけど、ここまでメロウに語れるのはクレスだけでしょう。読んでて、こう「周囲にねたまれる無眠人たちの気持ち」「置いていかれる普通人の気持ち」両方が伝わってくるんですよ。それに、繰り返しになるけど話の〆かたが神がかり。あとは、全く異なる文明との衝突を描いた「戦争と芸術」、バレエと遺伝子操作を絡めた「ダンシング・オン・エア」もかなり好み。僕の原体験になった「眠る犬」は言わずもがな。
どう終わればいいのか分からなくなったので、とりあえず「ベガーズ・イン・スペイン」のラスト部分を引用しておきますね。

 そんなことを考えたとたんに、リーシャは軽さに包まれた。浮き上がっていく喜びの泡ではない。考察によるはっきりした明確さでもなく、べつの何かだ。日射しが、やわらかに温室のガラスごしに射しこみ、子どもふたりがそこを出たり入ったりしている。彼女はいきなり自身が軽く感じられた。浮き上がるのではなく、自分が半透明な媒体となって、そこを日射しが通り抜け、さらに進んでいく。
 彼女はぐっすり眠りこんだ女と怪我を負った子どもを乗せたまま、夜を抜けて東へ、州境へと車を走らせつづけた。