エロゲのアニメ的演出について考えてみた

エロゲ演出の可能性とアージュの演出能力の高さ。

立ち絵と背景を用いたADV・ノベルは、高い表現力を持った強力な形式だ。コスト的なことも考えると、この基本形式が完全に廃れるということはまだないだろう。しかし、ずっとこのまま、というわけにもいかなそうだ。minoriやage、Littlewitch、それにTYPE・MOONなど、動的な演出に力を入れるメーカーも増えてきており、今後もさらにこの傾向は強まって行くだろう。単純に背景に立ち絵をのせて、テキストを流すだけというだけでは古臭く見える時代が来るのは、そう先のことではないかもしれない。
エロゲの「演出」について考えるきっかけとなったのは、まず上に示した記事、それとアニメ『True Tears』を見たこと。『True Tears』のお芝居の細かさ、動きや表情のひとつひとつにまで演出意図が込められた濃密な表現には、本当に圧倒されてしまった。そして、エロゲにもこんな繊細な表現は可能だろうか? なんてことを考えさせられたわけだ。

(僕は、これまで従来の「ADV・ノベル」に満足してしまっていたので、いわゆる「演出に力を入れたゲーム」はあまりやったことがない。テキストや設定、それに絵に比べて、演出はあまり重視しておらず、ライター買い・設定買いはしても演出買いはしてこなかった。minoriのゲームはひとつも持っていないし、FFDで知られるLittlewitchについてもプレイしたことがない(『少女魔法学リトルウィッチロマネスク』は持っているのだけど、積んだままになっている)。また、『School Days』についてもアニメしか知らない。
我ながらエロゲ演出を語る資格があるとも思えないし、プレイしたことのないゲームを例に出すのはよろしいことではないとも思うのだが、つらつらと書き連ねて行きたい。たたき台として、考えるきっかけにでもしていただけたらと思う)


■アニメへの接近
このエロゲ演出のお手本となっているのは、やはりアニメだろう。
エロゲの歴史は、アニメへの接近の歴史だという見方もできる。古くは目パチ・口パクから始まり、D.O.の『虜』(1996)、シーズウェアの『luv wave』(2000)、ソニアの『VIPER』シリーズなどからは、一部シーンに動画が使用されるようになる。そして、Jellyfishが『GREEN〜秋空のスクリーン〜』や『LOVERS〜恋に落ちたら…〜』で、一般のアニメと比較しても遜色ないレベルでアニメを採用し、その威力を見せ付けた。この系統での進化の終着点は、言うまでもなく、全編をアニメで作り上げたOverflowの『School Days』。

■重要なのは「動き」ではない?
しかし、エロゲにおいて最も演出の優れた作品は『School Days』なのかというと、そういうわけでもないだろう。
たとえば、「高度なエロゲ演出」といったときに真っ先に上がることの多いLittlewitchのFFDは、アニメではなくマンガを手本とした方法だった。また、『LOVERS〜恋に落ちたら…〜』でも、とくに演出の冴えを感じたのは、理恵初Hにいたるまでの序盤の展開であり、フルアニメのHシーンではなかった。
重要なのは、絵が動くことではなく、絵やエフェクトで意味を伝えることなのではないだろうか。
ノベル・ADVでは、誰がどのような動作をしたのか、どんなふうにやったのか、などの情報を、ほぼ全てテキストで伝える。これはもちろん悪いことではない。小説が映画やアニメに劣るものではないのと同様に、静的なノベルゲームが動的な演出を取り入れたノベルゲームに劣るということもない。しかしながら、やはり、文章で表現するには向かない事柄というのもある。戦闘シーンなどの動きの激しい場面や、表情の微細な変化などは、やはり視覚で見せたほうが直感的だ。逆に込み入った思考などは、文章のほうが得意だろう。
単純に動画を取り込むのではなく、アニメの演出法に学び、そのシーンで伝えるべき情報を、文章だけでなく絵の見せ方やエフェクトでも伝えていくこと。これが現在のエロゲ演出の潮流なのだろう。

■「シーンにあった絵」を用意することの難しさ
「シーンで伝えるべき情報」と書いたが、そのシーンにバッチリ合った表現というのは、従来の立ち絵では難しい。立ち絵は、あくまで代名詞的にキャラの存在と、大まかな表情を示すもので、まさにその瞬間の表情、そのときのポーズ、なんていうピンポイントな需要にはこたえにくい。それが必要ならば、そのシーン専用の絵を入れることになるだろう。
しかし、それではコストが恐ろしく跳ね上がってしまう。これは、FFDを全面的に採用した『Quartett!』(Littlewitch)が、一般的なエロゲに比べるとプレイ時間の短い短編となったことからも分かるだろう。この短い時間の中に大量の絵を使用するという方向性は、セールスには結びつかなかったのか、次回作以降ではフルFFDは採用されていない。
絵のみでアニメと同等の表現をしようとすると、コストが嵩みすぎるわけだ。『True Tears』のような繊細な演技、シーンにぴったり合った表情やしぐさ、というのはなかなか実現できないだろう。
長い間エロゲ界のスタンダードを維持してきた立ち絵システムの強力さを、改めて認識させられる。

■表現の空白地帯・主人公
もうひとつ、映画やアニメにあってエロゲにないものがある。それは、主人公の描写だ。まず主人公の外見を描写しすぎると、プレイヤーの自己投影が難しくなる。これにより、絵の構図などは限られてくる。
また、マルチルート、マルチエンドが基本となるエロゲでは、主人公の心の動きをあまりに細かに描いていくのは難しそうだ。選択肢を選び、ルートを分岐させるためには、主人公の心にある程度以上、あいまいな部分が必要になるだろう。あまりに主人公の考え方、性質をはっきりとさせてしまうと、「こいつはこの子しか好きになりようがない!」「こういう人物なら、これ以外の選択肢はとれない」とか、そういった問題が出てくる。
これは、演出上の幅をかなり狭めているように感じる。ただし、これによってエロゲ独特の没入感が得られるわけで、否定すべきことではない。
また、主人公問題を回避した例も、いくつかはある。『SWAN SONG』のように実質上一本道のシナリオにしてしまえば、主人公の思考が固定されても何の問題もない。REWNOSSの『フォークソング』は、複数主人公にして、カップリングを固定することで、主人公を含む各キャラクターの掘り下げを可能にしていた。

■テキストと絵、その演出と見せ方
上に挙げたエントリでも「動く背景」について書かれているが、この原初のかたちは「雨」や「雪」の表現だと思われる。具体的なタイトルは思い浮かばないが、背景に雨や雪を降らせる手法は、かなり昔からある気がする。雨が降っていることを、またどんなふうに降っているのかを視覚的に示すことができれば、「雨がしとしとと降ってきた」「そのとき、雪がふわふわと舞い降りてきた」などと書かなくても、より直接的に伝えることができる。
Fate/stay night』では、擬似アニメーションで立ち絵や背景を動かし、文章では表現しきれない部分を補っている。とくに効果的だったのは戦闘シーンだろう。セイバーが剣を振るうと、「シュパッ」とその攻撃の軌跡が示され、一枚の絵を拡大縮小して見せることで動きの激しさを見せる。
こうした動的な演出は強力で、一度慣れるとなかなか戻れない面がある。例に挙げた『Fate/stay night』をやったあとに、『月姫』をやると、やはり不満が残ることになるだろう。コストがかかるという意味でも、フルボイスのゲームと、パートボイスまたはボイスなしのゲームの関係に似ているかもしれない。
しかし、ボイスなしでも受け入れられるゲームがあるように、文章表現に重きをおいたノベルの需要もなくなることはないだろう。また、コストをかけずに演出を強化する手法も増えていくはず。『Fate/stay night』の立ち絵や一枚絵の動きも、ゲームエンジンの進化やスクリプトの効率化があれば、コストはぐっと下がるだろう。なにしろ、絵そのものが増えているわけではないのだから。
演出が重視されるようになれば、『Quartett!』のような小粒な作品の評価が上がることも十分考えられる。
最初にも書いたとおり、これまで演出をあまり意識してこなかったのだが、そんな僕でも、いつのまにか立ち絵が動く、背景が動くなどの演出があることに慣れてきてしまっている。エロゲ会社的には、これまで以上に大変だろうが、もはや無視できないところまで浸透している、そんなふうに思われる。エロゲのいいところは、絵とテキストの両方で表現し、両者のいいとこ取りをできるところだ。演出は、この特性をさらに伸ばしてくれる存在。決して軽視はできないだろう。