萌え力と陵辱力って同じものなんじゃないだろうか?

y_arimさんの「二次元だから」レイプ凌辱大好きなのですか、お姉さん?を発端として、エロゲやエロマンガのヒロインたちの人権についての話題がひろがっている。

「二次元だから」レイプ凌辱大好きなのですか、お姉さん?らめぇ
純愛ものも陵辱ものも好き。それでいいじゃないHalf Moon Diary
二次元少女の死で泣いたお前がさ、二次元少女なら穢されてもいいとか言うなよ遥か彼方の彼方から

二次元キャラクターに人権はあるのか? これについて、真っ向からの答えを出すことは出来そうもなく、ちょっとズレた意見になるかもしれないが、いちエロゲーマーとして思うところがあるので話題に乗らせてもらいたい。
僕は、いわゆる陵辱系のゲームも好きで、これまでにかなりの数を遊んできてた。陵辱系のエロマンガもわりと好きだ。レイプじゃないといけないとか、女の子を虐げないと興奮しないなんてわけでもないけれど、こよなく愛していると言ってもいいんじゃないかと思う。
そんな、エロゲーマーの立場からすると「二次元少女に心を見出す=萌え派」「二次元少女なんてただのモノ=陵辱派」という分け方には違和感を感じる。「陵辱モノを楽しむ人間は二次元少女をただのモノだと思ってる」というのは、僕の実感からすると…違う。それは、むしろ逆。
魂のないただの人形を陵辱しても面白くもなんともない。楽しみや悩み事がある女の子を陵辱するからこそ、興奮があり感動があり快感がある。
たとえたいしたドラマや心理描写もない抜きゲーであろうとも、CGがあり文章があるかぎり、二次元少女に心を投影し、見出してしまう。そうじゃないと快楽もあろうはずがない。
絵と文字の集合体であるはずの二次元少女に心を作り上げてしまうという意味では、ヒロインの死に涙する「萌え力」と、彼女達の不幸をむさぼる「陵辱力」には共通点があるのではないだろうか。個人的には、それらは同種のものに思える。
「ヒロインたちには心があり、とんでもなく不幸なことだからこそ楽しい」。しかし、だからと言って陵辱ゲーマー=悪人だとも思わない。物語を楽しむというのは、多かれ少なかれそういうものだと思うから。
物語は、別の人物の視点を追体験させてくれる。マンガやゲームは、正義のヒーローや純真な少年になる体験だけでなく、恐るべき悪人として振舞うという幻想も満たしてくれる。それが物語の力だ。いろんな本やゲームでさまざまな人生とさまざまな楽しみを享受したい。物語の中で純愛をすることも、監禁調教をすることも、この現実ではなく別の現実を見せてくれる物語の作用。そして僕は、あらゆる物語に対して貪欲でありたい。
二次元少女がかわいそうだから陵辱モノなんかダメ!という主張を見ると、その没入具合にうらやましくなるとともに、物語の一面を楽しめず損をしているんじゃないかとも感じてしまう。