元長柾木『飛鳥井全死は間違えない』角川書店

飛鳥井全死は間違えない

飛鳥井全死は間違えない

習慣に従って淡々と人を殺し続けるシリアルキラーの目から、支離滅裂な論理を振りかざすトリックスター・飛鳥井全死を描くミステリのようなライトノベルのような不思議な作品。少女たちにつきまとい、自分勝手な行動で事件を起こしていく全死が「間違えない」理由とは?


西尾維新モノとして読んでしまうと、あまりおもしろくない。
奇人変人どもが特殊能力を武器に争ったり争わなかったりする、というスタイルのためどうしても比べられやすいが、それではただ読みにくいだけの作品に見えてしまうだろう。文章のケレン味も、キャラクターたちの怪しさも、能力・人名などのネーミングセンスでも、勝ち目はない。
電気娘(テスラガール)はともかくとして(いや、やっぱよくない。この異名なら電磁波で鉄の塊を引き裂いたりしないと嘘でしょ?)、メタテキストだの文脈だのといった言葉遣いがどうしようもなく使い古されててダサい。メタフィクションメタフィクションって名づけてもベタなだけ。
また、西尾維新佐藤友哉ファウスト作家の多くに感じる現実に対するひねくれた感情も表立っては感じない。
……と、悪いことばかり並べ立ててしまったけれど、それでも読む価値があると思う。それは、ライトノベル的な楽しさや、ミステリ的なギミックは、この作品においてはスパイスに過ぎないから。
キャラクターの言動・思想のぶつかり合い、そして、より上位のレイヤーで物語を語る作者の考え方を主軸に置いて見ていくと、思考実験、あるいは作者の思考実験が読者の脳内で再現されるような一風変わった感覚が得られる。
キャラクターそれぞれが、てんでバラバラなことを考え、その思想によって世界を解釈する。そうして物語世界が複数の解釈を受けることで、小説全体が空中分解しそうになる。ひとつの曲に、複数の主旋律が現れて、不協和音を奏でるように。
その世界の崩壊を押しとどめる役目を振られたのが、飛鳥井全死だ。全死が事件を解決するときに、「交響楽曲的作戦(オーケストラル・マヌーヴァ)」という決め台詞を使うのは、こういった理由がある……んじゃないかとおもう。

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