エロゲンガーは本当に絵が下手なのか? 他

いろいろな絵師とその作家性
まず、マンガ全体とエロゲーでは規模が違いすぎて単純な比較は無理。せめて、乙女チック世代とエロゲーとかそのくらいに限定して欲しい。
あと、いくらなんでも2人では、エロゲンガーの分母が小さすぎる。
以上の点をさっぴいて、「マンガに比べて、エロゲームは表現の幅が乏しい」という主張だけをみると、なかなか考えさせられるものがあります。

結論を先に言うと、「PCとディスプレイ」を基本とする文化が、すくなくとも印刷物の世界では、その表現の豊かさにおいて「紙とペン」を基本とする文化に追いついていない、ということじゃないだろうか。
マンガの表現手法は、白い紙の上と黒いインクという非常に限定された世界の中で、模索され長い時間をかけて確立してきたものです。だからこそ、線そのものので勝負する必要があり、「ペンタッチ」なんてものが重視されたわけです。また、色をつけられないからこそ、目を大きくしたり、ときには人体の構造に大胆に変更を加えたり(足の本数を増やして走りを表現するなど)といったデザイン上の工夫が生まれたのだと思う。あと、マンガ雑誌の紙の質も影響してそう。
いわゆる萌え系に分類される作家たちの多くは、この紙ペン文化から離れたところで勝負しているように見える。マンガでも、『電撃大王』の掲載作品になると、均質に綺麗な線を引く、というところを超えて、線そのもので個性を見せようという意思を感じるものはかなり少ない。また、紙の上で「動き」を表現することに関して、あまりうまくない。というよりあまり興味がないように見える。
で、最初の文章に戻る。つまり、エロゲ、ラノベ、それに一部のマンガの作家たちは、コンピュータ、それにアニメとゲームを表現の基盤にしていて、技法の面でも、また精神的な面でも、従来のマンガ表現を受け継いでいないんじゃないかと。
そしてこのPC文化は、少なくとも紙に黒インクを使って絵を描くときの「表現の豊かさ」に関しては、紙ペン文化にかなわないと思う。
でも、エロゲーの文化だって捨てたもんではないはず。
PCのディスプレイで見たときに、いかに美しく見せるか、いかにエロく見せるかという方向で見ると、その個性豊かな部分が見えてくる。それは、古い例で言えば16色時代のタイルパターンであったり、緑やピンクなどありえない色に染められた髪や目、またエロで言えば「汁表現」やそれに関連する「差分」、塗りによる肌や乳の質感などもエロゲー作家の創意工夫の賜物です。よりシステムに近いところでは、立ち絵やフェイスアイコンなどもそうでしょう。
エロゲーラノベの挿絵は、今後も2Dデザインのバリエーションに関しては、従来のマンガにはかなわないかもしれない。でも、だからといって劣っているということではなく、どちらもそれぞれ違った良さがあって単純に比較できるものではない、というのが僕の考えです。

僕もちょっと前までは萌え系のマンガが苦手で「下手」とか「マンガの表現が出来てない」とか思ってました。でも、それで切り捨ててしまうのはなんか違うんじゃないかなーと。

あと、元記事のリンク先でも語られている「デッサンの崩れ」なんですが、あれってある程度意図的に崩してるんじゃないですかね? 顔、胸、シリ、フトモモなどの要素を全部いっぺんに表現しようとした結果、デッサンがおかしくなってるってケースが多いように思う。ある種キュビズムに近い手法(萌えキュビズム、略して萌えキュビ)で、ミス・技術不足とも言えないように思う。
いたる絵なんかは、上とは逆に一部分を強調しようとした結果起こったデフォルメ…じゃないかな?
本当にデッサンが取れない作家さんも多いんじゃないかと思うけど、少なくとも何の意味もなく狂ってるわけでもないかとー。
本当に意図してるのかどうかは謎だけど、技法として成り立ってると思うのは僕だけですか? けっこう常識というか、みんなそう思ってると信じてたので、ここが攻められるのは、かなーり意外。

ええっと、しつこいようだけどまだ続けます!
たとえば、『アキカン!』の表紙鈴平ひろ)、脚と腰のつながりがおかしいですよね? でも、そうすることによってフトモモのむっちり感と腰の細さが両立できるの! 鈴平ひろに限らず、スカートをはいた絵では、かなり高い確率で使われるテクニック。それに『SHUFFLE!』のジャケも脚と腰の関係がやや奇妙。あと、脚の向きがおかしくて、これでは立てそうにない。でも、そのほうが脚が綺麗に見えるの!
別系統では、山本和枝の『堕姫』のTOP絵。どう見ても背骨が存在しない奇妙な骨格ですね。それに、胸の下から腹にかけてが異常に長い。でもね、でも、こうすることで胸とシリを両方構図に入れれるの!!!!

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追記:
元記事さんからコメントをいただいていたのでー。(いろいろな絵師とその作家性 その2

(たぶん,今のエロゲ原画って色彩は外注ではないのか.作家性?)
確かに全体として,レベルは高い(絵がうまいではなく,完成度が高い)けれど,個性とか才能ってのは弱いと思う.

エロゲー原画家の作家性を示す例として、「タイルパターン」などの彩色のテクニックを挙げたのは、ちょっとズレてましたね。すみません。書いているうちに言いたいことが膨らんできて、元記事の内容とはかみ合わない部分が出てきていたようです。こんなふうに思っているやつもいるのかー、ぐらいに受け止めていただければと。
ただ、原画家として活躍している方も、線画だけしか描かないという人はおそらく居ないでしょう。個人で活動する際(CG集、画集、WEBその他)には彩色まで手がけているわけですから、厳密に切り離せるものでもないかと。たとえば、大槍葦人の独特のあの淡い塗りは、やはり大槍自身が生み出したものでしょう。逆に、ミンクの塗り、BISHOPの塗り、なんて風に制作会社のスタッフ陣が独自のテクニックを…なんて話をし始めるとまたズレちゃいますね。
やっぱり、共同作業が原則となるゲームと、個人ベースのマンガを比較するのはなかなか困難。とりあえず、なかなか見えにくいかもしれないけれど、エロゲー原画家たちもマンガ家たちとはまた違った方向性で、それぞれの個性を発揮していると思います。(そもそも、判子絵っていうのは、ものすごくウルトラスーパー強烈な個性じゃないでしょうか?)
それに、いたるや竜騎士を受け入れた業界・ユーザー体質はむしろ…という話はまた全然関係ない話になっちゃうので自粛。エロゲーの絵というのは世界的に見て最も異様な…という話も同上。この業界で個性豊かな作家というと、たとえばみさくらなんこつ…というのもまた別の話。どうも、しゃべり始めるととまらなくなるタチで、まとまりがなくて申し訳ないです。この文章も、1〜2行のつもりだったのになぁ。
後半については僕あてではなさそうですが、エロゲーなんていう狭くて儲からない業界によくもまあ、ってぐらいに面白い人材が揃っているんじゃないかと。
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エロゲはカレーじゃない!という話
「〜がつまらない」という文章よりも「〜が面白い」という文章のほうが好き。マイナスのイメージを持ってはじめると、いい部分を見落としてしまいやすくて損ですしね。…でも、それでもマイナスな書き方をせざるを得ないのがエロゲーの現状。とはいえ、本当に地雷と呼べるゲームはほとんどなくなったと思う。

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